つうきんでんしゃ とおます
昌平橋停車場 というお話
通勤電車の遠増はぁ、E233系中央線快速。
万世橋駅跡を過ぎるとすぐにぃ、総武線がぁ、近づいてくるのがぁ、見えた。
![]() 万世橋駅跡と総武線合流地点との間にある、四連アーチ。 これがかつて昌平橋停車場だった。 とはいえ正式なものではなく、万世橋停車場が完成するまでの仮停車場であった。そのため、万世橋停車場完成後にはホームなども撤去され、線路上には何も残っていない。 ![]() 停車場が廃止された高架下はテナントとして貸し出され、現在はレストランなどが営業している。 大正12年、ここにはアート商会という自動車会社が入っており、見習工として本田宗一郎という少年が働いていた。 そして9月1日の関東大震災。周囲の建物は倒壊し多くの死傷者を出したが、このレンガアーチは激震に耐え、のちに技術の神様となる少年の命を守ったのである。 ![]() 線路上にあった施設は撤去されたため、中央線の車窓からは、ここに停車場があったということはまったくわからない。 だが、総武線の車窓からは、改札や待合室のあった四連アーチを見おろすことができる。 こちらは裏側にあたるのだが、ホームへ上がる階段などはこちら側に設置されていたらしい。 ![]() 昌平橋停車場の営業当時、総武線はまだなかった。 昭和7年に総武線が御茶ノ水と秋葉原、両国を接続した(しかも御茶ノ水駅が移転して近くなった)ことは、万世橋駅の寿命を縮めることになった……。 |
このお話の出演はぁ……
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遠増とぉ |
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総武線 ……でした。 |