つうきんでんしゃ とおます
万世橋駅 というお話
通勤電車の遠増はぁ、E233系中央線快速。
神田駅を出た遠増はぁ、山手線や京浜東北線と分かれてぇ、西へ向かった。
やがてぇ、遠増の前にぃ、古い駅の跡がぁ、見えてきた。
![]() かつて甲武鉄道の中央ターミナルとして計画されたのに、いまやホームの土台しか見えない。それも草が生い茂って「花壇?」と思ってしまいそう。 本線右(北)側の側線は、長距離列車用ホームの予定だったが、長距離列車は飯田町駅から新宿駅に移ってしまい、ここはただの留置線になってしまった。 ![]() 万世橋駅は生まれたときからまったくツイてない。計画時は甲武鉄道のターミナルとして東京の表玄関になることを目指していたのに、すぐに路線が延長されて新設の中央停車場(のちの東京駅)に接続したため、途中駅に格落ちしてしまった。 完成時は東洋一を誇った豪華な駅舎も、関東大震災で焼失。当時の東京で一、二を争う賑わいをみせていた周辺の街も大被害を受け、震災復興計画により昭和通りが造られるや、街の賑わいは昭和通りに隣接する秋葉原駅や神田駅へ移ってしまい、万世橋駅の利用者は激減。 スペックダウンして再建された駅舎も、やがて交通博物館に改装されて「博物館の裏に改札口がくっついている」という悲しい状態に。総武線は当駅をスルーして隣の御茶ノ水駅に接続するし。御茶ノ水、秋葉原、神田という乗換駅に囲まれて、戦時中とうとう休止されてしまう。今風に言えば「仕分けされてしまった」わけ。 戦後、交通博物館は再開されたものの、駅は閉鎖のまま今に至る。しかしその博物館も数年前に大宮へ引っ越してしまったのはご存じのとおり。 | |
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交通博物館跡地にはビルを建築中だが、この赤煉瓦アーチ横は遊歩道になるらしい。博物館の一部になっていたこの部分は痛みも少なく、明治時代の貴重な洋風建築が目の当たりにできるようになるだろう。 |
このお話の出演はぁ……
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遠増とぉ |
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あずさ ……でした。 |